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<title>東海林昭雄牧師の元気の出る部屋</title>
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<description>聖書から見た元気と励ましを与える人生と生活の処方箋をお届します。お気軽にご覧ください。</description>
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<title>夜学生の応援を使命とした人</title>
<description>25日に「賀川豊彦召天記念墓前礼拝」が、日本基督教団松沢教会のお墓のある多磨霊園であり、私は賀川を支えた後藤安太郎さんの話をしました。関東大震災が起こった際、大火災も起こり、約１０万人の死者が出てしました。支援物資を積んだ船に乗って上京した賀川は、焦土と化した本所（墨田区）に天幕を張り、十字架を立てて救援活動を始めたときに駆けつけた青年が後藤安太郎さんでした。彼は夜学の学生を応援することを生涯の使命として生きた人物でした。優秀な技術者であった後藤さんは、オリジン電気工業（現オ..</description>
<dc:subject>日記</dc:subject>
<dc:creator>しょうちゃん</dc:creator>
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25日に「賀川豊彦召天記念墓前礼拝」が、日本基督教団松沢教会のお墓のある多磨霊園であり、私は賀川を支えた後藤安太郎さんの話をしました。関東大震災が起こった際、大火災も起こり、約１０万人の死者が出てしました。支援物資を積んだ船に乗って上京した賀川は、焦土と化した本所（墨田区）に天幕を張り、十字架を立てて救援活動を始めたときに駆けつけた青年が後藤安太郎さんでした。彼は夜学の学生を応援することを生涯の使命として生きた人物でした。優秀な技術者であった後藤さんは、オリジン電気工業（現オリジン）の創業者です。彼は都電荒川線の面影橋の近くに工場を運営しておりました。隣の最終駅は、早稲田駅です。徒歩で早稲田の本部や理工学部に行ける立地にあります。今は高校や大学に入るのは当たり前の時代となりましたが、貧しさのゆえに進学の道を断たれた青少年がたくさんおりました。集団就職列車のあった時代などは昔日の感がありますが、昭和４０年前半はそのような時代でした。そのような若者たちに勉学の機会を与えようとしたわけです。入社の条件はただ一つ、「便所掃除でも何でも喜んでする人を採用します」と言うのです。「一生懸命働き、一生懸命学びなさい」との励ましの言葉の元、職と住まいが与えられ、勉学は無理だと思っていた若者たちが学びの機会が与えられたのです。イエスの友会で８年ほど前に後藤さんを含めた方々数名の自叙伝を小冊子の形で発行しましたが、彼のことは拙い文章ですけれども、私が書かせていただきました。折角だから写真を載せたいと思い、何人かに当たったのですが、誰も持ってはおりませんでした。しかしダメもとで会社に電話し、総務担当者にその主旨を伝えると、２人の承諾を得ないといけないといわれました。１人は遺族、もう１人は社長の承諾を得なければならないということでした。「社長」と言っても、社員３千人もいる東証一部上場企業です。写真１枚借りるのに、果たして話を伝えていただけるものかと案じましたが、２日後、「両者の承諾を得ました」との連絡があり、画像が送られてきました。刷り上がったものを送付し、お礼の電話をしたところ、「我が社の創業者がこのような人であったことを初めて知りました」と言って喜んでくれました。その際「後藤さんのご家族でどなたか働いていますか」と問うと「誰一人もいません」との返答がありました。最近は物言う株主の話を耳にしますが、「さすがだなあ」と思いました。株式会社であろうとも、本来は公的なもの、社会的なものです。たとえ自分自身が立ち上げたとしても、彼は私物化することなく社会に、次世代の人たちに託すことを実践されました。語った聖書の言葉は「何をするにも、人に対してではなく、主に対するように、心から行いなさい」（コロサイの信徒への手紙３章２３節）でしたが、仕えることに生涯を徹した後藤安太郎さんのお名前が墓碑に刻まれておりましたが、人生の美学を教えられる人物です。このような陰の働きは主に覚えられている働きであると言えます。<a name="more"></a>

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<title>摂食症</title>
<description>「摂食障害」が「摂食症」に名称が変更されたとの今朝のニュースを見ながら二十数年前の出来事を思い出しました。高校卒業して間もない女性が救いを求めて教会を訪れ求道生活に入りました。どうも過度のストレスのため拒食症になってしまったようですが、根本的な問題を解決しなければ改善の見込みはなさそうでした。同じ頃、同年代の女性も礼拝に出席するようになり、聖書を学び始めました。彼女もまた何からの悩み事を抱えているようで暗い表情でした。半年ほど礼拝に出席し二人とも洗礼を受けたいとの希望を出し、..</description>
<dc:subject>日記</dc:subject>
<dc:creator>しょうちゃん</dc:creator>
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「摂食障害」が「摂食症」に名称が変更されたとの今朝のニュースを見ながら二十数年前の出来事を思い出しました。高校卒業して間もない女性が救いを求めて教会を訪れ求道生活に入りました。どうも過度のストレスのため拒食症になってしまったようですが、根本的な問題を解決しなければ改善の見込みはなさそうでした。同じ頃、同年代の女性も礼拝に出席するようになり、聖書を学び始めました。彼女もまた何からの悩み事を抱えているようで暗い表情でした。半年ほど礼拝に出席し二人とも洗礼を受けたいとの希望を出し、受洗準備会の学びに入りましたが、二人が対面して両者ともびっくりしました。二人は高校時代の友人でしたが、行き違いが起こり関係が破綻、それが原因で二人とも心病んでしまったようです。悩みを抱えながら同じ礼拝に出席しながらも、大勢の礼拝者の中で互いの存在が見えなかったようです。二人にとってこのとき必要なことは許し合うことでした。互いに許し合えたときに、二人の心に光が与えられ、苦しみ続けて来た病から解放され、喜んでいる姿に主の成されることは常に最善であると思いました。詩編４０編２節から４節に「主にのみ、わたしはのぞみをおいていた。主は耳を傾けて、叫びを聞いてくださった。滅びの穴、泥沼からわたしを引き上げ、わたしの足を岩の上に立たせ、しっかりと歩まさせ、わたしの口に新しい歌を、わたしたちの神への賛美を授けて下さった」とありますが、まさに主の恵みにより泥沼から引き上げられた体験でした。<a name="more"></a>

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<title>命の重さ</title>
<description>若いつもりが７０歳を迎えましたが、故日野原重明先生が７５歳以上の人々を集めて「新老人会」を組織し、その運動が全国へと拡散しました。そのモットーの１つに「耐える」ことを挙げていました。何かにじっと耐えることによって、感性が磨かれてエネルギーに変えられていくというのです。雪国育ちの者にとって耐えることは自然に身に付いています。厳冬の中にあっても春の兆しを感じます。聖書を開いたら「守るべきものすべてにも増してあなたの心を保て。命はそこから来る。（詩編４章２３節）とありました。命の重..</description>
<dc:subject>日記</dc:subject>
<dc:creator>しょうちゃん</dc:creator>
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若いつもりが７０歳を迎えましたが、故日野原重明先生が７５歳以上の人々を集めて「新老人会」を組織し、その運動が全国へと拡散しました。そのモットーの１つに「耐える」ことを挙げていました。何かにじっと耐えることによって、感性が磨かれてエネルギーに変えられていくというのです。雪国育ちの者にとって耐えることは自然に身に付いています。厳冬の中にあっても春の兆しを感じます。聖書を開いたら「守るべきものすべてにも増してあなたの心を保て。命はそこから来る。（詩編４章２３節）とありました。命の重さを感じつつ、主の恵みによって日々新たにされた者として感謝しつつ、歩みを続けたいと思います。<a name="more"></a>

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<title>人間失格ではなく、人間肯定の生き方</title>
<description>物事は真逆の位置から見ると大切なことが見えてくるものです。「お前は生きている価値は無い」と、いじめを受けていた少年は言われてしまったそうです。大変辛辣な言葉です。しかしその少年はその時、このように受け止めたそうです。「生きる価値は無いのではなく、生きているからこそ価値があるのだ」と。『人間失格』を著した太宰治は自死する直前に『桜桃』という作品を書きました。その中に「われ山にむかいて目をあぐ。わが救いはいずこより来るか」という詩編１２１編の言葉を冒頭に引用しています。しかし残念..</description>
<dc:subject>日記</dc:subject>
<dc:creator>しょうちゃん</dc:creator>
<dc:date>2026-01-30T12:00:56+09:00</dc:date>
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物事は真逆の位置から見ると大切なことが見えてくるものです。「お前は生きている価値は無い」と、いじめを受けていた少年は言われてしまったそうです。大変辛辣な言葉です。しかしその少年はその時、このように受け止めたそうです。「生きる価値は無いのではなく、生きているからこそ価値があるのだ」と。『人間失格』を著した太宰治は自死する直前に『桜桃』という作品を書きました。その中に「われ山にむかいて目をあぐ。わが救いはいずこより来るか」という詩編１２１編の言葉を冒頭に引用しています。しかし残念ながら入水してしまいました。彼が引用したみ言葉の次に「わたしの助けは来る、天地を作られた主のもとから」とあります。しかしながらそこに思いは至らなかったようです。「人間失格」ではなく、「人間肯定」の生き方があることを聖書は明らかにしています。<br /><a name="more"></a>

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<title>崖っぷち人生</title>
<description>アフリカのサハラ砂漠にはサハラギンアリという蟻がおり、餌探しは最も温度の高い真昼、地表温度は５０度を優に超すそうです。この蟻は４分以上その暑さの地表にいると死んでしまうとのことです。その４分間が生きるための餌探しの時となるわけです。しかも４５度以下になると天敵のアリクイトカゲが現れ餌食されてしまう恐れがあります。４５度以下にあるのは死、生きるために死んでしまうかもしれない温度５０度での餌探し、しかもギリギリ僅か４分間の中で生死を賭けた崖っぷちでの闘いとなります。人生もまたこの..</description>
<dc:subject>日記</dc:subject>
<dc:creator>しょうちゃん</dc:creator>
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アフリカのサハラ砂漠にはサハラギンアリという蟻がおり、餌探しは最も温度の高い真昼、地表温度は５０度を優に超すそうです。この蟻は４分以上その暑さの地表にいると死んでしまうとのことです。その４分間が生きるための餌探しの時となるわけです。しかも４５度以下になると天敵のアリクイトカゲが現れ餌食されてしまう恐れがあります。４５度以下にあるのは死、生きるために死んでしまうかもしれない温度５０度での餌探し、しかもギリギリ僅か４分間の中で生死を賭けた崖っぷちでの闘いとなります。人生もまたこの蟻のような綱渡りのようなものといえまです。常に死と隣り合わせです。明日あるかの保証は誰にもありません。そのようなことを考えると先に進めなくなってしまいますが、詩編８編５節に「そのあなたが御心に留めてくださるとは、人間は何ものでしょう。人の子は何ものでしょう、あなたたが顧みてくださるとは」とあります。切羽詰まった中にも見守り支えて下さる存在がおられることは、心強く感謝なことです。<a name="more"></a>

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<title>大丈夫</title>
<description>理解しがたい状況や不条理に遭うとき戸惑いを覚えますが、イギリスの作家エドワード・モーガン・フォスターは、異なった価値観の故に起こることを主テーマにした人物です。その彼が「何故、どうして？」という問いに対してこのような答えを出しています。「大丈夫、信じて、そのまま黙って歩きなさい」と述べています。不安や思い煩いを抱く時一歩も進めなくなりがちですが、ヘブライ人への手紙１３章５節に「神御自身、「『わたしは、決してあなたから離れず、決してあなたを置き去りにしない』」とあります。「決し..</description>
<dc:subject>日記</dc:subject>
<dc:creator>しょうちゃん</dc:creator>
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理解しがたい状況や不条理に遭うとき戸惑いを覚えますが、イギリスの作家エドワード・モーガン・フォスターは、異なった価値観の故に起こることを主テーマにした人物です。その彼が「何故、どうして？」という問いに対してこのような答えを出しています。「大丈夫、信じて、そのまま黙って歩きなさい」と述べています。不安や思い煩いを抱く時一歩も進めなくなりがちですが、ヘブライ人への手紙１３章５節に「神御自身、「『わたしは、決してあなたから離れず、決してあなたを置き去りにしない』」とあります。「決して」「決して」と繰り返し強調されています。この神の約束の言葉の中に、「大丈夫、信じて、そのまま黙って歩きなさい」との神の御想いが込められているはずです。今日も一歩前進です。<a name="more"></a>

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<title>認識の過ち、雨の日の散水車</title>
<description>早計に判断せずに相手の立場に立って物事を見ないと的外れな受け止めがちをしがちなものです。あるエッセイに『雨の日の散水車』というものがありました。某新聞の読書欄に朝から雨が降るという天気予報が出されていたのに東京都の散水車が水を撒いている。なんというムダ、水がもったいない、お役所的で臨機応変さがない」という主婦からの投書だったそうです。そこで新聞社の担当者は同感し、清掃局の担当者に問い合わせると、このような説明があったそうです。「道路に水を撒くのは単に道路をきれいにするためでは..</description>
<dc:subject>日記</dc:subject>
<dc:creator>しょうちゃん</dc:creator>
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早計に判断せずに相手の立場に立って物事を見ないと的外れな受け止めがちをしがちなものです。あるエッセイに『雨の日の散水車』というものがありました。某新聞の読書欄に朝から雨が降るという天気予報が出されていたのに東京都の散水車が水を撒いている。なんというムダ、水がもったいない、お役所的で臨機応変さがない」という主婦からの投書だったそうです。そこで新聞社の担当者は同感し、清掃局の担当者に問い合わせると、このような説明があったそうです。「道路に水を撒くのは単に道路をきれいにするためではない。ゴミは風で一箇所に集まり、いつの間にか固くなって道路にこびりついてしまう。そこにオートバイが通ると転倒し、命にかかわるほどの危険性がある。こびりついたゴミは、相当激しい雨が降らないと流れない。むしろ雨が降ってふやけたところに思い切り水を撒き、流してしまった方が効果的である。そして使用している水は飲料水ではなく、工業用水である。工場で使う飲めない水を撒いているので水飢饉とはまったく関係は無い」との返答だったそうです。その旨を投書した人に電話で説明していると、途中で「そんなうるさいことを言うなら、いい！」と言ってガチャンと電話を切られてしまったそうです。正義感をもって投書したのでしょうが、現実は彼女の認識とは違っていました。むしろ結果的に傲慢ささえ露呈してしまったわけです。ありがちな逸話です。箴言２０章７節に「正しき者は誠実に歩む者」とありますが、独りよがりの正義の拳をあげていることはないか、自らを省みたいものです。目に見えない現場で働いている人たちの想いを少しでも理解しようとするならば、誤った憤りも、トラブルも無くなることでしょう。<a name="more"></a>

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<title>真の幸せ</title>
<description>誰でも幸せであることを願っているものですが、的外れなものを求めていることに気付かない失敗を犯しがちです。エーリッヒ・フロムが「人間は皆幸せに生きたいが、幸せの重点をどこに置くかが問題だ。他人より少しも多くというのが現代人の幸せの探し方だ」と述べています。とかく相対的に物事を考えがちな点を指摘しています。他人より多く幸いを得たとしてもそれだけのことです。主イエス・キリストは「喜びなさい。大いに喜びなさい。天には大きな報いがある」（マタイによる福音書５章１２節）と語られました。『..</description>
<dc:subject>日記</dc:subject>
<dc:creator>しょうちゃん</dc:creator>
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誰でも幸せであることを願っているものですが、的外れなものを求めていることに気付かない失敗を犯しがちです。<br />エーリッヒ・フロムが「人間は皆幸せに生きたいが、幸せの重点をどこに置くかが問題だ。他人より少しも多くというのが現代人の幸せの探し方だ」と述べています。とかく相対的に物事を考えがちな点を指摘しています。他人より多く幸いを得たとしてもそれだけのことです。主イエス・キリストは「喜びなさい。大いに喜びなさい。天には大きな報いがある」（マタイによる福音書５章１２節）と語られました。『神の書』である聖書は、永遠の視点から物事を見るようにと促しています。真の幸せはつかの間の潰えてしまうものではありません。<a name="more"></a>

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<title>人生を決するもの</title>
<description> 今年も色々な方々との出会いがありました。「共生社会」という言葉をよく耳にする時代となっておりますが、それだけ争いは絶えず、孤立しつつある人々も多いようです。そのような中ひたむきに救いを求めている人たちのために手を差し伸べようとしている人々との出会いは大変尊いものでした。カトリックの作家遠藤周作さんが遺した言葉にこのようなものがありました。「一人の人間には、その運命と人生を決するような時が、生涯一度は必ずあるものです。それを乗り切った瞬間、彼の未来は全面的に変わる」と。聖書に..</description>
<dc:subject>日記</dc:subject>
<dc:creator>しょうちゃん</dc:creator>
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 今年も色々な方々との出会いがありました。「共生社会」という言葉をよく耳にする時代となっておりますが、それだけ争いは絶えず、孤立しつつある人々も多いようです。そのような中ひたむきに救いを求めている人たちのために手を差し伸べようとしている人々との出会いは大変尊いものでした。カトリックの作家遠藤周作さんが遺した言葉にこのようなものがありました。「一人の人間には、その運命と人生を決するような時が、生涯一度は必ずあるものです。それを乗り切った瞬間、彼の未来は全面的に変わる」と。聖書には色々な出会いがあり、人生に大きな転機が与えられた人々の姿を見ます。そのような中から教えられる大切な教訓は方向を失ってしまった人の混乱と器の小ささです。詩編５７篇１１節に「あなたの慈しみは大きく、天にまで及び、あなたのまことは雲まで及ぶ」とありますが、ギリシャ語で「人間」という言葉、「アンスローポス」は元々「天を仰ぐ者」という意味があると言われます。人間は「天」、すなわち「神を仰いで生きる」ということに、人間としての本来の人間たる姿があると言います。時代がいかなる困難な状況にあろうとも、的外れな歩みを方向転換して天を仰ぐ自然な生き方をしたいものです。<a name="more"></a>

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<title>笑顔の子ども食堂</title>
<description>『蟹工船』の作者小林多喜二がこのような言葉を遺しています。「闇があるから光がある」そして闇から出て来た人こそ、本当に光のありがたさがわかるものだ。世の中は、幸福ばかり満ちているものではない。不幸であるから幸福がある。それを忘れないでくれ。珠玉の教訓です。今はクリスマス一色の季節を迎えていますが、喜ぶ人がいる一方、この季節であればこそ悲しみをより深く覚える人々も多くいることを覚えたいものです。いつも幸福で光の中を歩んでいるつもりの人でも、突如不幸に陥らないわけではありません。子..</description>
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<dc:creator>しょうちゃん</dc:creator>
<dc:date>2025-12-22T11:29:41+09:00</dc:date>
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『蟹工船』の作者小林多喜二がこのような言葉を遺しています。「闇があるから光がある」そして闇から出て来た人こそ、本当に光のありがたさがわかるものだ。世の中は、幸福ばかり満ちているものではない。不幸であるから幸福がある。それを忘れないでくれ。珠玉の教訓です。今はクリスマス一色の季節を迎えていますが、喜ぶ人がいる一方、この季節であればこそ悲しみをより深く覚える人々も多くいることを覚えたいものです。いつも幸福で光の中を歩んでいるつもりの人でも、突如不幸に陥らないわけではありません。子ども食堂を始めたとの話を聞いておりましたが、一昨日遭い話を聞いてみました。先週は１２０名の子どもたちが集ったと言うことでした。都心にあるキリスト教会、貧困地域とは無縁のように思える場所です。経済的な問題だけではなく、背景には孤立の問題もあろうかと思われますが、未来を担う子どもたちが笑顔になることを期待しての働きでだとのことでした。旧約の預言者イザヤは「闇の中を歩む民は、大いなる光を見、死の陰の地に住む者の上に、光が輝いた」（イザヤ書９章１節）と語りました。この地に住む人々は常に力ある隣国から蹂躙を受け続けていた絶望の民でしたが、主イエス・キリストの降誕によって真の光、真の救いが与えられました。虐げられ続けて来た者であればこそ、救いのおとずれは大きな喜びとなったはずです。色々な事情を抱えた子どもたちに笑顔が与えられ、それがより広く伝搬されることを期待しております。<a name="more"></a>

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<title>１２月２５日クリスマス</title>
<description>クリスマスの日が定められたのが４世紀になってからのことですが、１２月２５日は「冬至」の日です。夏頃は朝５時前には明るくなり、夕方の７時過ぎても明るさがありました。１２月を迎え朝６時になっても暗く、夕方５時になると暗くなってきます。冬至の日は一年で一番暗さの長い日であると言われていますが、この日を過ぎると次第に明るい時間帯が長くなってきます。聖書によると羊飼いたちが野宿しながら夜通し羊の番をしていた時に御子イエス・キリストの降誕のみ告げを主の天使から告げられたとありますから、多..</description>
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<dc:creator>しょうちゃん</dc:creator>
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クリスマスの日が定められたのが４世紀になってからのことですが、１２月２５日は「冬至」の日です。夏頃は朝５時前には明るくなり、夕方の７時過ぎても明るさがありました。１２月を迎え朝６時になっても暗く、夕方５時になると暗くなってきます。冬至の日は一年で一番暗さの長い日であると言われていますが、この日を過ぎると次第に明るい時間帯が長くなってきます。聖書によると羊飼いたちが野宿しながら夜通し羊の番をしていた時に御子イエス・キリストの降誕のみ告げを主の天使から告げられたとありますから、多分春頃のことであろうと考えられています。しかし１２月２５日をクリスマスの日と決めたには意味があるはずです。暗さが一年で一番長い当時の日こそ光を求めたいときです。また厳しい冬が到来する季節でもありますが、穏やかな春に向かって進む季節でもあります。預言者イザヤは「闇の中を歩む民は、大いなる光を見、死の陰の地に住む者の上に、光が輝いた」（イザヤ書９章１節）と語り、そのことは主イエス・キリストの降誕で成就しました。闇の中に佇んでいた自分たちにも真の光、真の救いが与えられたことを証しするために冬至の日をクリスマスの日と決めたようです。闇を知ってこそ光を知り、絶望を味わってこそ希望を見出すものです。<a name="more"></a>

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<title>的を得た生き方</title>
<description>何にお金を用いるかによってその人の生き方が見えるものです。数百万、数千万の腕時計をはめている人々がおります。しかし僅か千円の腕時計でも刻む時刻は同じです。ブランド物のバックも安いバックでも物を入れるという点においても同じです。何千万もする高級車でも制限速度以上で走ることはできません。速度は大衆車と同じ条件です。お金をたくさん持っていたとしても食べる量を増やすことはできません。お金には活かされるお金と死に金があります。まして人生の最期のその時、全てを手放さなくてはいけません。使..</description>
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<dc:creator>しょうちゃん</dc:creator>
<dc:date>2025-11-13T10:44:15+09:00</dc:date>
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何にお金を用いるかによってその人の生き方が見えるものです。数百万、数千万の腕時計をはめている人々がおります。しかし僅か千円の腕時計でも刻む時刻は同じです。ブランド物のバックも安いバックでも物を入れるという点においても同じです。何千万もする高級車でも制限速度以上で走ることはできません。速度は大衆車と同じ条件です。お金をたくさん持っていたとしても食べる量を増やすことはできません。お金には活かされるお金と死に金があります。まして人生の最期のその時、全てを手放さなくてはいけません。使徒パウロは「よこしまな曲がった時代の中で、非のうちどころのない神の子として、世にあって星のように輝き、命の言葉をしっかり保つでしょう。こうしてわたしは、自分が走ったことが無駄でなく、労苦したことも無駄でなかったと、キリストの日に誇ることができるでしょう」（フィリピの信徒への手紙２章１５～１６節）と述べています。的を得た生き方です。<a name="more"></a>

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<title>「私は毎日神を見ている」</title>
<description> 昆虫学者のファーブルが「あなたは神を信じていますか」と問われたときに、「私は毎日神を見ている」と答えたそうです。自然を観察するほど人知を超えて何かを彼は感じたようです。聖書はこの世界をこのように表現しています。「天は神の栄光の物語、大空は御手の業を示す」’詩編１９編２節）。「人は何のために生きるのか」という重要な人生の問いの答えがそこにあります。</description>
<dc:subject>日記</dc:subject>
<dc:creator>しょうちゃん</dc:creator>
<dc:date>2025-06-03T09:41:40+09:00</dc:date>
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 昆虫学者のファーブルが「あなたは神を信じていますか」と問われたときに、「私は毎日神を見ている」と答えたそうです。自然を観察するほど人知を超えて何かを彼は感じたようです。聖書はこの世界をこのように表現しています。「天は神の栄光の物語、大空は御手の業を示す」’詩編１９編２節）。「人は何のために生きるのか」という重要な人生の問いの答えがそこにあります。<a name="more"></a>

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<title>優しくしてくれてありがとう</title>
<description>保育園の子どもたちが散歩に出かけたとき、横断歩道で1台の車が停車してくれたそうです。運転していたのは保護者のおかあさん。彼女は運転席から「いつも優しくしてくれてありがとう」と大きな声で語ったそうです。まぶたにその光景が浮かぶようです。我が子を思う母親のとっさに出た言葉かと思いますが、母親の慈しみが滲み出てきます。言葉をオブラートに包みこまなければならない時もありますが、そのままの想いを吐露するのも良いものです。パウロは「悪い言葉を一切口にしてはなりません。ただ、聞く人に恵みが..</description>
<dc:subject>日記</dc:subject>
<dc:creator>しょうちゃん</dc:creator>
<dc:date>2025-01-31T15:04:49+09:00</dc:date>
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保育園の子どもたちが散歩に出かけたとき、横断歩道で1台の車が停車してくれたそうです。運転していたのは保護者のおかあさん。彼女は運転席から「いつも優しくしてくれてありがとう」と大きな声で語ったそうです。まぶたにその光景が浮かぶようです。我が子を思う母親のとっさに出た言葉かと思いますが、母親の慈しみが滲み出てきます。言葉をオブラートに包みこまなければならない時もありますが、そのままの想いを吐露するのも良いものです。パウロは「悪い言葉を一切口にしてはなりません。ただ、聞く人に恵みが与えられるように、その人を造り上げるのに役立つ言葉を、必要に応じて語りなさい」（エフェソの信徒への手紙４章２９節）と書き送っています。教えられること大です。<a name="more"></a>

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<title>被災者の隣人</title>
<description>昨日は文京区シビックホールで開催されたクリスマスラブコンサートに参加しましたが、一曲一曲に込められた想いが伝わってきました。会場で趙泳相牧師と何年かぶりに再会しました。初対面は、私が神学生時代ですから３８年の月日が経ったことになります。東日本大震災が起こったのが２０１１年３月１１日、趙牧師は石巻市に居を構え直ぐに救援活動をしました。被災したコンビニの建物を購入し教会を設立、そして『お茶っこハウス石巻』という名のサロンを開きました。「お茶っこ」という言葉は東北人にとって親しみの..</description>
<dc:subject>日記</dc:subject>
<dc:creator>しょうちゃん</dc:creator>
<dc:date>2024-12-10T11:01:59+09:00</dc:date>
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昨日は文京区シビックホールで開催されたクリスマスラブコンサートに参加しましたが、一曲一曲に込められた想いが伝わってきました。会場で趙泳相牧師と何年かぶりに再会しました。初対面は、私が神学生時代ですから３８年の月日が経ったことになります。東日本大震災が起こったのが２０１１年３月１１日、趙牧師は石巻市に居を構え直ぐに救援活動をしました。被災したコンビニの建物を購入し教会を設立、そして『お茶っこハウス石巻』という名のサロンを開きました。「お茶っこ」という言葉は東北人にとって親しみのあるものです。お茶っこを呑みながらお話ししましょう、どうぞくつろいでくださいというわけです。被災者の方々にとってそのような場は、心のオアシスになったことでしょう。彼は震災から今に至るまで土地の人となって仕えてきたのです。ところが久しぶりにあって驚愕しました。今は能登半島に住んでいるとのこと、頂いた名刺には「能登復興支援センター　代表」と記されていました。震災後真っ先に被災地に駆けつけ支援活動をしている由、頭が下がりました。使徒パウロは「互いに愛し合うことのほかは、だれに対しても借りがあってはなりません。人を愛する者は、律法を全うしているのです」（ローマの信徒への手紙１３章８節）と書き送っていますが、頭でっかちになりがちな信仰ではなく、隣人となって生きる姿が人々の心を捉えていくものです。マザーテレサが「思いやりのある言葉は、たとえ簡単な言葉であっても、ずうっと心にこだまする」という言葉を遺しておりますが、昔ながらの人懐こい笑顔に大切なことを教えられました。<a name="more"></a>

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