2025年06月03日

「私は毎日神を見ている」

昆虫学者のファーブルが「あなたは神を信じていますか」と問われたときに、「私は毎日神を見ている」と答えたそうです。自然を観察するほど人知を超えて何かを彼は感じたようです。聖書はこの世界をこのように表現しています。「天は神の栄光の物語、大空は御手の業を示す」’詩編19編2節)。「人は何のために生きるのか」という重要な人生の問いの答えがそこにあります。
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2025年01月31日

優しくしてくれてありがとう

保育園の子どもたちが散歩に出かけたとき、横断歩道で1台の車が停車してくれたそうです。運転していたのは保護者のおかあさん。彼女は運転席から「いつも優しくしてくれてありがとう」と大きな声で語ったそうです。まぶたにその光景が浮かぶようです。我が子を思う母親のとっさに出た言葉かと思いますが、母親の慈しみが滲み出てきます。言葉をオブラートに包みこまなければならない時もありますが、そのままの想いを吐露するのも良いものです。パウロは「悪い言葉を一切口にしてはなりません。ただ、聞く人に恵みが与えられるように、その人を造り上げるのに役立つ言葉を、必要に応じて語りなさい」(エフェソの信徒への手紙4章29節)と書き送っています。教えられること大です。
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2024年12月10日

被災者の隣人

昨日は文京区シビックホールで開催されたクリスマスラブコンサートに参加しましたが、一曲一曲に込められた想いが伝わってきました。会場で趙泳相牧師と何年かぶりに再会しました。初対面は、私が神学生時代ですから38年の月日が経ったことになります。東日本大震災が起こったのが2011年3月11日、趙牧師は石巻市に居を構え直ぐに救援活動をしました。被災したコンビニの建物を購入し教会を設立、そして『お茶っこハウス石巻』という名のサロンを開きました。「お茶っこ」という言葉は東北人にとって親しみのあるものです。お茶っこを呑みながらお話ししましょう、どうぞくつろいでくださいというわけです。被災者の方々にとってそのような場は、心のオアシスになったことでしょう。彼は震災から今に至るまで土地の人となって仕えてきたのです。ところが久しぶりにあって驚愕しました。今は能登半島に住んでいるとのこと、頂いた名刺には「能登復興支援センター 代表」と記されていました。震災後真っ先に被災地に駆けつけ支援活動をしている由、頭が下がりました。使徒パウロは「互いに愛し合うことのほかは、だれに対しても借りがあってはなりません。人を愛する者は、律法を全うしているのです」(ローマの信徒への手紙13章8節)と書き送っていますが、頭でっかちになりがちな信仰ではなく、隣人となって生きる姿が人々の心を捉えていくものです。マザーテレサが「思いやりのある言葉は、たとえ簡単な言葉であっても、ずうっと心にこだまする」という言葉を遺しておりますが、昔ながらの人懐こい笑顔に大切なことを教えられました。
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