2025年12月22日

笑顔の子ども食堂

『蟹工船』の作者小林多喜二がこのような言葉を遺しています。「闇があるから光がある」そして闇から出て来た人こそ、本当に光のありがたさがわかるものだ。世の中は、幸福ばかり満ちているものではない。不幸であるから幸福がある。それを忘れないでくれ。珠玉の教訓です。今はクリスマス一色の季節を迎えていますが、喜ぶ人がいる一方、この季節であればこそ悲しみをより深く覚える人々も多くいることを覚えたいものです。いつも幸福で光の中を歩んでいるつもりの人でも、突如不幸に陥らないわけではありません。子ども食堂を始めたとの話を聞いておりましたが、一昨日遭い話を聞いてみました。先週は120名の子どもたちが集ったと言うことでした。都心にあるキリスト教会、貧困地域とは無縁のように思える場所です。経済的な問題だけではなく、背景には孤立の問題もあろうかと思われますが、未来を担う子どもたちが笑顔になることを期待しての働きでだとのことでした。旧約の預言者イザヤは「闇の中を歩む民は、大いなる光を見、死の陰の地に住む者の上に、光が輝いた」(イザヤ書9章1節)と語りました。この地に住む人々は常に力ある隣国から蹂躙を受け続けていた絶望の民でしたが、主イエス・キリストの降誕によって真の光、真の救いが与えられました。虐げられ続けて来た者であればこそ、救いのおとずれは大きな喜びとなったはずです。色々な事情を抱えた子どもたちに笑顔が与えられ、それがより広く伝搬されることを期待しております。
posted by しょうちゃん at 11:29| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2025年12月19日

12月25日クリスマス

クリスマスの日が定められたのが4世紀になってからのことですが、12月25日は「冬至」の日です。夏頃は朝5時前には明るくなり、夕方の7時過ぎても明るさがありました。12月を迎え朝6時になっても暗く、夕方5時になると暗くなってきます。冬至の日は一年で一番暗さの長い日であると言われていますが、この日を過ぎると次第に明るい時間帯が長くなってきます。聖書によると羊飼いたちが野宿しながら夜通し羊の番をしていた時に御子イエス・キリストの降誕のみ告げを主の天使から告げられたとありますから、多分春頃のことであろうと考えられています。しかし12月25日をクリスマスの日と決めたには意味があるはずです。暗さが一年で一番長い当時の日こそ光を求めたいときです。また厳しい冬が到来する季節でもありますが、穏やかな春に向かって進む季節でもあります。預言者イザヤは「闇の中を歩む民は、大いなる光を見、死の陰の地に住む者の上に、光が輝いた」(イザヤ書9章1節)と語り、そのことは主イエス・キリストの降誕で成就しました。闇の中に佇んでいた自分たちにも真の光、真の救いが与えられたことを証しするために冬至の日をクリスマスの日と決めたようです。闇を知ってこそ光を知り、絶望を味わってこそ希望を見出すものです。
posted by しょうちゃん at 12:48| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2025年11月13日

的を得た生き方

何にお金を用いるかによってその人の生き方が見えるものです。数百万、数千万の腕時計をはめている人々がおります。しかし僅か千円の腕時計でも刻む時刻は同じです。ブランド物のバックも安いバックでも物を入れるという点においても同じです。何千万もする高級車でも制限速度以上で走ることはできません。速度は大衆車と同じ条件です。お金をたくさん持っていたとしても食べる量を増やすことはできません。お金には活かされるお金と死に金があります。まして人生の最期のその時、全てを手放さなくてはいけません。使徒パウロは「よこしまな曲がった時代の中で、非のうちどころのない神の子として、世にあって星のように輝き、命の言葉をしっかり保つでしょう。こうしてわたしは、自分が走ったことが無駄でなく、労苦したことも無駄でなかったと、キリストの日に誇ることができるでしょう」(フィリピの信徒への手紙2章15〜16節)と述べています。的を得た生き方です。
posted by しょうちゃん at 10:44| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする