2026年01月17日

認識の過ち、雨の日の散水車

早計に判断せずに相手の立場に立って物事を見ないと的外れな受け止めがちをしがちなものです。あるエッセイに『雨の日の散水車』というものがありました。某新聞の読書欄に朝から雨が降るという天気予報が出されていたのに東京都の散水車が水を撒いている。なんというムダ、水がもったいない、お役所的で臨機応変さがない」という主婦からの投書だったそうです。そこで新聞社の担当者は同感し、清掃局の担当者に問い合わせると、このような説明があったそうです。「道路に水を撒くのは単に道路をきれいにするためではない。ゴミは風で一箇所に集まり、いつの間にか固くなって道路にこびりついてしまう。そこにオートバイが通ると転倒し、命にかかわるほどの危険性がある。こびりついたゴミは、相当激しい雨が降らないと流れない。むしろ雨が降ってふやけたところに思い切り水を撒き、流してしまった方が効果的である。そして使用している水は飲料水ではなく、工業用水である。工場で使う飲めない水を撒いているので水飢饉とはまったく関係は無い」との返答だったそうです。その旨を投書した人に電話で説明していると、途中で「そんなうるさいことを言うなら、いい!」と言ってガチャンと電話を切られてしまったそうです。正義感をもって投書したのでしょうが、現実は彼女の認識とは違っていました。むしろ結果的に傲慢ささえ露呈してしまったわけです。ありがちな逸話です。箴言20章7節に「正しき者は誠実に歩む者」とありますが、独りよがりの正義の拳をあげていることはないか、自らを省みたいものです。目に見えない現場で働いている人たちの想いを少しでも理解しようとするならば、誤った憤りも、トラブルも無くなることでしょう。
posted by しょうちゃん at 17:27| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2026年01月01日

真の幸せ

誰でも幸せであることを願っているものですが、的外れなものを求めていることに気付かない失敗を犯しがちです。
エーリッヒ・フロムが「人間は皆幸せに生きたいが、幸せの重点をどこに置くかが問題だ。他人より少しも多くというのが現代人の幸せの探し方だ」と述べています。とかく相対的に物事を考えがちな点を指摘しています。他人より多く幸いを得たとしてもそれだけのことです。主イエス・キリストは「喜びなさい。大いに喜びなさい。天には大きな報いがある」(マタイによる福音書5章12節)と語られました。『神の書』である聖書は、永遠の視点から物事を見るようにと促しています。真の幸せはつかの間の潰えてしまうものではありません。
posted by しょうちゃん at 21:07| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2025年12月31日

人生を決するもの

今年も色々な方々との出会いがありました。「共生社会」という言葉をよく耳にする時代となっておりますが、それだけ争いは絶えず、孤立しつつある人々も多いようです。そのような中ひたむきに救いを求めている人たちのために手を差し伸べようとしている人々との出会いは大変尊いものでした。カトリックの作家遠藤周作さんが遺した言葉にこのようなものがありました。「一人の人間には、その運命と人生を決するような時が、生涯一度は必ずあるものです。それを乗り切った瞬間、彼の未来は全面的に変わる」と。聖書には色々な出会いがあり、人生に大きな転機が与えられた人々の姿を見ます。そのような中から教えられる大切な教訓は方向を失ってしまった人の混乱と器の小ささです。詩編57篇11節に「あなたの慈しみは大きく、天にまで及び、あなたのまことは雲まで及ぶ」とありますが、ギリシャ語で「人間」という言葉、「アンスローポス」は元々「天を仰ぐ者」という意味があると言われます。人間は「天」、すなわち「神を仰いで生きる」ということに、人間としての本来の人間たる姿があると言います。時代がいかなる困難な状況にあろうとも、的外れな歩みを方向転換して天を仰ぐ自然な生き方をしたいものです。
posted by しょうちゃん at 17:20| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする