2014年10月31日

思い遣りの人

 「忘れぬ言葉」 (三浦綾子著・小学館) の中に彼女の母が 「かまへん、 相手のひとが喜んでくれる 」 と語った逸話が紹介されております。

  子ども10人しかも同居人もおり、 綾子氏は当時13年もの間療養生活、 そのようなある日、 外出した際、 母が財布を落としてしまった時、 「いくら入っていたの。 悔しいことをしたわね 」 と綾子氏がやや愚痴っぽく言うと、 「 でもねえ、 拾った人は喜んでいるかも知れないよ 」 と笑って答えたそうです。

  しかも彼女の弟が車に跳ねられて死んだ時も、 「こっちも悲しいけど、 轢いたほうも、 賠償金のことで夜も眠れないかも知れない 」 と語ったそうです。 如何なる時にも相手を思い遣ろうとする器の大きさを見ます。 このような在り方はそれまでの苦労の積み重ねの上に 、築き上げられたもののように思われます。

  詩編21編8節に 「王は主に依り頼む。 いと高き神の慈しみに支えられ 決して揺らぐことがない 」 とあります 。この告白も茨の道を通った者である故の喜びの告白であり、賛美であるといえます。

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2014年09月14日

努力と結果

  苦労人は如何なる時にも教訓を見出すものですが、 本田宗一郎氏がこのような言葉を遺しております。

  「努力して結果が出ると、 自信になる 。努力せず結果が出ると傲りになる。 努力せず結果も出ないと、 後悔が残る。 努力して結果が出ないとしても、 経験が残る。 」

  自分自身を戒めつつ、 意味を問い、 なお可能性を追求する姿は教えられます。 その根底には自己を信頼する自己肯定の思いを見い出します。 そこに更に上なるお方の導きを覚えるならば、 その道程は堅固なものとなることでしょう。

 苦難の義人ヨブは 「しかし、 神はわたしの歩む道を知っておられるはずだ。 わたしを試してくだされば金のようであることが分かるはずだ 」( ヨブ記23章10節) と述べております。

  あらゆる誤解や批判の嵐に晒されながらも自分を信じ、 神を信じる肯定的な生き方に大きな力と意味と、 そしてその存在感の重さを感じます。そのような人には良き結果はおのずとついて来るものです。

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2014年07月23日

数えるもの

   ドストエフスキーが「人は苦しみを数えることを好み、喜びを数えようとしない」と述べていますが、人間の陥りやすい心理を指摘しております。コリントの信徒への手紙二6章10節でパウロは「悲しんでいるようで、常に喜び、物乞いのようで、多くの人を富ませ、無一物のようで、すべてのものを所有しています」と記しています、心がけ次第でどうなにでもなるものです。

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