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2026年03月13日
摂食症
「摂食障害」が「摂食症」に名称が変更されたとの今朝のニュースを見ながら二十数年前の出来事を思い出しました。高校卒業して間もない女性が救いを求めて教会を訪れ求道生活に入りました。どうも過度のストレスのため拒食症になってしまったようですが、根本的な問題を解決しなければ改善の見込みはなさそうでした。同じ頃、同年代の女性も礼拝に出席するようになり、聖書を学び始めました。彼女もまた何からの悩み事を抱えているようで暗い表情でした。半年ほど礼拝に出席し二人とも洗礼を受けたいとの希望を出し、受洗準備会の学びに入りましたが、二人が対面して両者ともびっくりしました。二人は高校時代の友人でしたが、行き違いが起こり関係が破綻、それが原因で二人とも心病んでしまったようです。悩みを抱えながら同じ礼拝に出席しながらも、大勢の礼拝者の中で互いの存在が見えなかったようです。二人にとってこのとき必要なことは許し合うことでした。互いに許し合えたときに、二人の心に光が与えられ、苦しみ続けて来た病から解放され、喜んでいる姿に主の成されることは常に最善であると思いました。詩編40編2節から4節に「主にのみ、わたしはのぞみをおいていた。主は耳を傾けて、叫びを聞いてくださった。滅びの穴、泥沼からわたしを引き上げ、わたしの足を岩の上に立たせ、しっかりと歩まさせ、わたしの口に新しい歌を、わたしたちの神への賛美を授けて下さった」とありますが、まさに主の恵みにより泥沼から引き上げられた体験でした。
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